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水戸藩尊攘激派が起こした「天狗党の乱」の関連史料。
元治元年(1864)11月16日、上野国下仁田における天狗党と高崎藩の戦闘(下仁田戦争)の記録。
高崎藩側の戦死者の役職・名前・年齢を記している。
11月16日、天狗党は追撃して来た高崎藩兵200人と下仁田で交戦した。定説では天狗党死者4人、高崎藩は死者36人を出したとされるが、この史料には「諸士」「医師」「大砲方」など34名の戦死者が記されている。
表紙の「松平右京之助様」は高崎藩主・松平右京亮=大河内輝声(おおこうち・てるな)。
6丁/16×13cm
【翻刻】
下仁田入口通ニ而
諸士
内藤儀入
弐十才
(中略)
頃ハ元治元年
子十一月十六、時六ツ時
下仁田前梅之木傍ニ
おひて合戦致候、
以上
【大河内輝声】(おおこうち・てるな)
幕末の大名。嘉永元年(1848)10月15日生まれ。大河内輝聴(てるとし)の子。万延元年(1860)、上野高崎藩主・大河内家(松平家)10代となる。洋式兵制をとりいれ農兵をつのり強心隊を編成。慶応3年(1867)、幕府の陸軍奉行並となるが翌年新政府軍にしたがい小栗忠順を追討。維新後東京に英学校を設立した。明治15年(1882)8月15日死去。35歳。幼名は恭三郎。初名は輝照。
(『日本人名大辞典』)
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